アラフィフ旅マニア ブログ。神社仏閣、仏像、遺跡、御朱印、美術館と、ちょっと贅沢なリゾートをご紹介します。

興福寺 参拝記

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仏像界のジャニーズ、国宝 阿修羅像(あしゅらぞう)に会いに行こう!

サブタイトルがちょっとアレですが笑、今回は興福寺についてご紹介します。

ここは奈良滞在の最後に訪れた寺院で、今まで奈良に何度も滞在していたのに初見のお寺です。今まではJR側に宿泊して、東大寺や春日大社へはバスでアプローチしていたので、「途中下車して観光」とはならなかったんですね。

今回近鉄奈良駅至近の AN-GRANDEホテル奈良 に宿泊先を決めて、周辺の観光地を検索していたら・・・ホテルから道路一本渡ったところが興福寺でした。これはあの国宝級イケメン(国宝級イケメンが国宝というギャグです笑)阿修羅様にお会いしに行かねばっ!

興福寺は本当にホテルから近かったので、初日ならまち方面へ食事に行く途中に「抜け道」として利用。国宝群が並ぶ境内を抜け道とはなんとも贅沢ですね。この時は写真撮影だけだったので、最終日に再度がっつり参拝、と二度ほど訪問させていただきました。

今回は初日に撮影した夕景、最終日に撮影した日景と二つの表情をご紹介していきますね。

興福寺とは

 法相宗の大本山である興福寺。その前身である「山階寺(やましなでら)」は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても 興福寺の別称として使われています。そして、壬申の乱(672)の後、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移され、その地名を取って「厩坂寺(うまやさかでら)」と名付けられます。さらに、和銅3年(710)、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。(中略)平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。文禄4年(1595)の検地では「春日社興福寺」合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。

引用:興福寺公式HP

鏡女王はあの有名な歌人額田王の姉ともいえる人物で、最初天智天皇の妻でしたが、のちに 藤原鎌足 の正妻となった人物です。この、姉妹( 鏡女王 と 額田王 )兄弟(天智天皇と天武天皇)と腹心の部下( 藤原鎌足 )を巻き込んだドロドロ愛憎劇にはきわめて興味を惹かれるところですが、少なくとも後年 鏡女王 は 藤原鎌足 のことを愛していたのでしょうね。

この人物たちの話は、大和和紀先生の「天の果て地の限り」という漫画で詳しく描かれています。私は小学生の時にこの漫画を読み劇中で登場する和歌を諳んじるくらいはまり、歴史と日本文学が大好きになったという記念すべき作品なので、機会がありましたら皆様もぜひご一読ください。

興福寺の夕景

興福寺五重塔

興福寺の中でひときわ目を引く五重塔。

五重塔は 、興福寺の創建者である藤原不比等の娘、光明皇后の発願で建立されました。 現在の塔は応永33年(1426)頃に再建され、日本で2番目に高い塔 だそうです。

南円堂(なんえんどう)

南円堂は「西国三十三所」の第九番札所で、弘仁4年(813)藤原冬嗣が父の内麻呂追善のために建立したお堂です。

「抜け道」と書いてしまいましたが、こちらは興福寺の北参道だったんですね。直進すると猿沢の池へつながる石段に突き当たります。

手前が東金堂。五重塔と並べて撮影できる、フォトジェニックなスポットです。

ちょうど都合がよいことに、境内図の案内図を発見! 現在地は赤で印がつけられている箇所で、正面左手に五重塔、右手に大きな中金堂があります。

コロナの影響もあり参拝がかなわなかった中金堂。真新しく見えるのは当然で、このお堂は平成30年(2018)に再建落慶を迎え復元されたものです。

興福寺の日景

改めまして最終日。早朝から興福寺にやってきました!大宮通から北参道への入り口はこちらになります。興福寺は法相宗の大本山です。

さて、先日薄暗い中撮影した南円堂と中金堂。どちらも鮮やかな朱色が印象に残る、華やかな建築物です。

逆光を作って、東金堂と五重塔を撮影。これはこれで趣があります。

興福寺 国宝館

興福寺は建物自体の魅力はもちろんですが、国宝、重要文化財の宝庫ですので、これを見逃す手はありません! こちらが大宮通を入ってすぐのところにある「国宝館」です。

館内はもちろん写真禁止なので、国宝阿修羅像をはじめ綺羅星のごとく並ぶ宝物の写真をお見せすることはかないませんが、この看板に映っている仏像の写真だけでも、興福寺に蓄えられている寺宝の素晴らしさが伝わることと思います。

東金堂

中金堂の東側にある金堂で、東金堂と呼ばれる西向きのお堂です。神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立されました。創建当初は床や須弥壇などに緑色のタイル(緑釉塼/りょくゆうせん)が敷きつめられ、薬師如来の東方瑠璃光浄土(とうほうるりこうじょうど)の世界が表されていたと言われています。

引用:興福寺公式HP

現在は、室町時代に造立された本尊薬師如来坐像を中心に、日光・月光菩薩立像、文殊菩薩坐像、維摩居士坐像、十二神将立像、四天王立像などが安置されています。仏像マニアにはたまらない空間でしたよ。

中金堂は拝観休止中

現在コロナの関係で拝観できるお堂が制限されているようです(2021年8月現在)

○東金堂:9時~17時

○国宝館:9時~17時

○中金堂:拝観不可

また、御朱印の授与も下記の通り変更になっているようなので、ご注意ください。

○南円堂納経所:9時~17時(最終受付16時30分)

○勧進所:9時~17時(最終受付16時30分)

策り外側から中金堂を撮影。再建間もない堂宇を見ることなどそうそうないので、内部でじっくり眺めてみたかったなぁ。

南金堂

こちらは、 「西国三十三所」 札所のせいか、たくさんの人々が参拝、御朱印の授与を受けていました。

写真右から「納経所」「一言観音堂」です。御朱印もこちらでいただきます。

「納経所」 前の藤の花がほころび始めていました。

南金堂の横に鐘楼があり、鐘を突くことができるようでした。この鐘の音、余韻がどこまでも地平線に向かって伸びていくような、素晴らしい音でした。

興福寺を彩る花々

ここからは写真に語ってもらいましょう。境内にはたくさんの桜が植えられており、ちょうど見ごろを迎えていて、花々に包まれていると体の中から華やかな幸福感があふれ出るようでした。

写真撮影に夢中になっていて、突如足元に気配を感じて飛び退ると・・・鹿さんたちが鹿せんべいのおねだりに来ていました笑。

前に来たときは結構獰猛に「クレヨクレクレ」といった感じで迫られたものでしたが、今回の旅行では全くと言っていいほど迫られなかったんですよね。こちらが気が付くのを待ってくれている、とてもお行儀のよい鹿さんたちでした。

次回は、奈良で最後に訪れた「 近鉄奈良駅エリア散策 」をご紹介します。

奈良Contents

01-AN-GRANDEホテル奈良 ホテル 宿泊記 施設紹介
01-AN-GRANDEホテル奈良 ホテル 宿泊記 施設紹介
02-AN-GRANDEホテル奈良 スーペリアツイン宿泊記
03-AN-GRANDEホテル奈良 Dining an-saison 朝食
04-奈良 氷室神社参拝記
05-早朝散歩で春日大社へ
06-薬師寺 白鳳伽藍エリア参拝記
07-薬師寺 玄奘三蔵院伽藍エリア参拝記
08-唐招提寺 鑑真和上御廟 参拝記
09-奈良国立博物館で金峯山寺仁王門金剛力士立像を見る
10-東大寺 南大門から中門へ
11-東大寺 大仏殿参拝記
12-東大寺 二月堂 三月堂 参拝記
13-東大寺周辺観光
14-興福寺 参拝記
15-奈良観光-あぶれちやった写真あれこれ
16-天丼まきの 奈良東向き商店街店
17-柿の葉寿司のゐざさ 中谷本舗 夢風ひろば店

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