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2020年1月 四天王寺散策

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お友達との待ち合わせがあべのハルカスだったので、まずは集合場所の確認・・・からの、欲張りギリギリなんとか滑り込み行けるか・・・!の四天王寺。残念なお知らせをすると、冬季のお堂・中心伽藍・庭園の拝観時間は8時30分から16時なんですね・・・ちょうど目の前で閉まりました涙。これはいつかリベンジをせねば・・・!

ただ、中心伽藍の外は24時間拝観できる場所も多いので、今回は外回りをざっくりとみてきました。

今日のスケジュール

京都駅→住吉大社→百舌鳥古墳群→四天王寺(今ここ)→お友達のおすすめ絶品ふぐ料理

移動方法

2020年1月11日(土)
大仙公園から阪和線 百舌鳥駅までは徒歩10分くらい。
百舌鳥駅から阪和線で天王寺駅まで22分、下車四天王寺まで徒歩12分

2日目のContents

1.住吉大社本宮
2.住吉大社摂社、末社
3.百舌鳥古墳群 反正天皇陵とはや総本店
4.仁徳天皇陵古墳と大仙公園でVR
5.四天王寺
5.あべのハルカスから絶品ふぐ料理

5.四天王寺

四天王寺について

四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式とされています。

出典: 四天王寺公式HP

ちょうど、山岸涼子さんの「日出処の天子」の、この神に誓願のシーンを読んだばかりでした。昔読んだ漫画って大人買いしたくなりますよね?

聖徳太子は私が子供の頃、1万円札だったんですよね。歴史上の人物としては非常に身近で、意識せずに聖徳太子=飛鳥の地、と思い込んでいましたが、この大阪の地でこんなに深く息づいているなんて。天王寺駅から四天王寺までの地名を見て散策するだけで、空想を刺激し、古典好きの地が騒いでしまうような地名がたくさん。今度はゆっくり時間をかけて散策したいものです。

閑話休題:小学生の頃、大和和希さんの「天の果て地の限り」を読んで古典文学や日本の歴史に目覚めたんでした。あの頃は男女の機微などわからなくて、額田王の才能、美貌にただあこがれて、小学生ながら漫画に出てくる和歌を諳んじていたものでした。脱線失礼します(笑)

石鳥居の扁額の文字は「「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」意味は『 おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である』だそう。
石鳥居から眺める中央伽藍と五重の塔
極楽に通ずる門の意味から、通称 極楽門。
門柱にある転法輪(てんぽうりん)。参詣者はこれを回転させ、直接法門に触れることにより、洗心の功徳を積むことができる。
中央伽藍に向かいます。
と、その時奥から何やら行列が・・・
ええええ・・・いったい何が始まるんですか?
大僧正様まで・・・?よくみると日本最古の建築会社の法被をまとった方々が。これは企業の参拝だったのでしょうね。この時点で16時過ぎだったので、無念目の前で扉は閉ざされてしまいました。
六時礼賛堂は18時まで参拝可能。まだ初詣であろう方々で賑わっていました。
中央伽藍、五重塔の先に見えるのがあべのハルカス。こういう歴史的な建物と近代が共存している姿にキュンとします笑。
聖徳太子をお祀りしているお堂、太子殿の前に作られた茅の輪。有難く潜らせていただきました。
中心伽藍の南端にある中門より五重塔を望む。東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士。
熊野権現礼拝石。案内板を読むと、「平安・鎌倉時代に盛んであった熊野詣の際、人々はまずこの四天王寺で熊野の方向に礼拝し、熊野までの道中安全を祈ったとされる」と書かれています。ちょうど南大門の手前、まっすぐ南に向いて置かれています。こういう昔の方の信仰の姿をイメージできる史跡は堪りませんね。

四天王寺公式HP

日本仏法最初の官寺

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