アラフィフ旅マニア ブログ。神社仏閣、仏像、遺跡、御朱印、美術館と、ちょっと贅沢なリゾートをご紹介します。

2020年1月 近江神宮と近江勧学館

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3日目は、大学時代の友人で、関西のホテル、複合施設でマーケティングをやっている(当時)お友達と待ち合わせし、滋賀県の二社と、彼女が働らいているホテルを紹介してもらいました。

私も彼女も日本文学科で、古典や歴史のあるものが大好物なので、会話がとてもディープで楽しかった笑。共通の知識を心行くまで語り合える友達がいるのは幸せなことですね。

今日のスケジュール

京都駅→近江神宮と近江勧学館(今ここ)→三井寺(園城寺)→長等神社と琵琶湖→Good Nature Hotel Kyoto

移動方法

2020年1月12日(日)
京都駅からJR琵琶湖線 膳所→京阪膳所 京阪石山坂本線→近江神宮前/32分410円

3日目のContents

1.近江神宮と近江勧学館
2.三井寺(園城寺)
3.長等神社の網打祭と琵琶湖
4.GOOD NATURE STATIONとGood Nature Hotel Kyoto

近江神宮

近江神宮は、第38代天智天皇をご祭神に祀り、天智天皇の古都、近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社です。近江神宮には天智天皇ゆかりの史跡がたくさんあります。まずは大津に遷都をした天智天皇についてみてみましょう。

近江神宮公式HP

〒520-0015滋賀県大津市神宮町1番1号
TEL:077-522-3725

天智天皇(中大兄皇子)とは

舒明天皇の第二皇子。母は皇極天皇重祚して斉明天皇)。(中略) 645年7月10日、中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。入鹿の父・蘇我蝦夷は翌日自害した。更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新)を行なった。(中略)百済660年新羅に滅ぼされたため、朝廷に滞在していた百済王子・扶余豊璋を送り返し、百済復興を図って白村江の戦いを起こすも敗戦した。(中略) 667年4月17日(天智天皇6年3月19日)に近江大津宮(現在の大津市)へ遷都し、668年2月20日(天智天皇7年1月3日)、ようやく即位した。(中略)中大兄皇子時代の660年(斉明天皇6年)に漏刻(ろうこく、水時計のこと)を作り、671年(天智天皇10年)には大津宮の新台に置いて鐘鼓を打って時報を開始したとされる。671年での日付(4月25日)に対応するグレゴリオ暦 (ユリウス暦ではないことに注意)の6月10日時の記念日として知られている。

引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

キーワードは、大化の改新の立役者、大津宮へ遷都、時計に関する史跡、です。

近衛文麿の筆になる社号標(右)と奥に見えるのは一の鳥居 鳥居の奥に表参道 木漏れ日の道が続きます

表参道を通り抜けると、長い階段、その上に二の鳥居があります

二の鳥居を抜け手水舎、さらに階段を上ると朱塗りの楼門が見えてきます。この楼門は某人気漫画での印象が強いです。ワクワク

楼門を見上げる。立派ですね。

先ほど「時計に関連する史跡」と書いたもののひとつ、日時計です。それと、日本の歴史に登場する有名どころまでの距離が書かれていて、南は樫原神宮、平城京、多武峰まで何キロ、と興味深く見ていたのですが、なにやら数字がおかしいものが・・・白村江でした。日本国内だけしか書かれていないと思っていたら、実際には朝鮮半島ですから当然です笑。日本国内でどこが一番遠いかな~とみていたところ、高千穂の峰の表記が目に留まり、11月に実際に訪れたことは、先の鹿児島県の記事に書いた通りです。「霧島神宮 古宮址 天孫降臨神籬斎場」はこちらから

天智天皇御創始の漏刻(ろうこく/水時計)が設けられています。水が落ちる場所に矢が刺さっていますね。

外拝殿

外拝殿の拝所から正面に見える内拝殿

栖松遙拝殿(せいしょうようはいでん)

一番高いところにある栖松遙拝殿から、回廊を使い降りていきます。

回廊越しに、朱塗りの時計館宝物館が見えてきます。

近江神宮といえばこれ! 百人一首ですよね。

社務所前にある、天智天皇御製碑「秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ」

近江勧学館にやってきました!

なんと、前日10時から名人位、クイーン位決定戦をやっていたんですね!

かるたくじ・・・普通のおみくじはあまり引きませんが、こういうご当地物に齢私。

当然購入してしまいました。あたったのは、在原行平の句で、

立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む
— 『百人一首』第16番


[現代語訳:これでお別れです。でも因幡の国の山に生える松のように「ここでずっと待っているよ」とあなたが言うならばすぐにでも帰って来ましょう。]

[現代語訳:これでお別れです。でも因幡の国の山に生える松のように「ここでずっと待っているよ」とあなたが言うならばすぐにでも帰って来ましょう。]

この歌は現代において、いなくなった飼猫の帰還を願う猫返しのまじないとしても、伝えられ親しまれている

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

うーん・・・個人的には微妙・・・卒論が蜻蛉日記だったので、道綱母とか平安女流歌人の句が良かったな。

某漫画、アニメは「ちはやふる」でした。面白いですよね♪


明日は三井寺(園城寺)をご紹介します。

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