アラフィフ旅マニア ブログ。神社仏閣、仏像、遺跡、御朱印、美術館と、ちょっと贅沢なリゾートをご紹介します。

御朱印あれこれ 鹿児島県編

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2020年は日本神話にまつわる地を巡ってきました。一年の締めくくりに当たり、原点にあたる天孫降臨の地、高千穂の峰と霧島神宮を目指しました。

調べてみると現在の霧島神宮は噴火、火災のため、山頂から山裾に移転を繰り返し、3度目に再建された建物なんですね。体力的に天逆鉾と山頂近くにある本宮(創建の地)は厳しそうだったので、せめてより昔の信仰の息吹を感じられるであろう高千穂河原にある古宮址(二度目)を一番の目的地としました。-なぜその地を選んで神域と神域としたのかは、実際にその場所に立って、気を吸い、神社が創建された当初の景色をイメージして初めて理解できるからです。

その観点でみて、古宮址にある「天孫降臨神籬斎場」は正面に高千穂の峰を臨み、左手は中嶽に守られ、背面はどこまでも開けた地で、ここに神社が築かれるにふさわしい場所でした。ここに立つと神々の息吹が感じられ、心清々しく自然と神と自然に感謝を捧げる気持ちになりました。生憎と社務所もなく御朱印はいただけないのですが、素晴らしい体験でしたので、併せて写真を掲載させていただきます。「天孫降臨神籬斎場」は、現在でも11月10日に天孫降臨記念祭を執り行う神域です。

本宮はもと高千穂峰と御鉢「噴火口」との中間、脊門丘に奉斎されていましたが、御山の噴火のために悉く 炎上し、村上天皇の天暦年間(950年)天台宗の僧である性空上人が高千穂河原に再興奉還しました。また、文暦元年(1234年) の大噴火により、社殿、僧坊寺が災禍に遭い、田口の待世の行宮に250年間奉斎されました。その後、真言宗の僧 兼慶上人が藩主 島津忠昌公の命をうけて土御門天皇の文明16年(1484年)に社殿等を再興しておられます。そののち、別当寺 華林寺からの失火により全焼の厄に遭われたのを、第21代藩主島津吉貴公の寄進により正徳5年(1715年)に重建されたのが現在の御社殿です。約300年前の建物で、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、登廊下、勅使殿、門守神社等その配置は妙を得て輪奐の美をなしています。

引用:霧島神宮公式HP

霧島神宮 御朱印 

霧島神宮の御朱印は500円で「天孫降臨の地」とアマビエ一つか、1000円でアマビエ4種セットかを選ぶことができます。

霧島神宮公式HP

山神社 御朱印

山神社は霧島神宮本殿奥にひっそりと佇む神社です。神社といいましても、木製の簡素な鳥居と磐座があるのみです。ここは高千穂御嶽道だったのでしょう、樹々で隠されていますが、霊峰高千穂の峰を正面に臨み、古代遥拝所としての役割を持つ場所ではなかったと推察されます。(間違っていたらごめんなさい)

霧島国際ホテル「高千穂の神々を巡る

スピリチュアルコース」

トップ画像:霧島神宮鳥居

おまけ 高千穂峰と霧島神宮古宮址

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